星にゃーんのブログ

ほとんど無害。

ロボット心理学的見地からみる『アイの歌声を聴かせて』

注意:この文章には『アイの歌声を聴かせて』のネタバレが含まれます。また、筆者はノベライズ版の感想文としてこの文章を書きました。ノベライズ版での描写が前提となっています。あとなぜか半分ぐらいアシモフの『われはロボット』の話してます。

『ロボット工学ハンドブック』だけはいつも肌身離さず持っていた。

ロボット工学の三原則。

第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険の看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第一条に反する場合は、この限りではない。

第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己を守らなければならない。

子供の頃、初めてこれを読んで衝撃を受けた。ロボットの発展と、人類の抱えるフランケンシュタイン・コンプレックスの双方を解決する優しいルールだ。

二十世紀中葉の電子計算機の目覚ましい発展も、陽電子頭脳の発明により過去のものとなった。真空管やリレーは今もマニアの間で根強い人気を誇るが、一般に受け入れられているのは人間の脳ほどの大きさのスポンジ状プラチナイリジウムの合金である。

二十世紀が終わる頃に生まれた私は、ほかの多くの若者と同じように、計算機科学、今では〈ロボット心理学〉として知られる分野を志した。はずだった。

現実には〈ロボット心理学〉が生まれることは無かった。我々の時間軸では、陽電子頭脳の代わりにトランジスタが発明された。極小のパーツを組み合わせた集積回路により、〈コンピュータ〉が作成された。一足とびのズルは許されなかったのだ。ロボット工学三原則を現実の計算機に普遍的に適用する方法は未だ明らかになっていない。今はまだその必要すらもない。

一方で、想像の中でロボットは自由に歌い踊っている。1940年に生まれた子守りロボットのロビィと少女グローリアの友情は、場所を変え形を変え、今も続いている。『アイの歌声を聴かせて』もまた、人間のような知能と人間とは思えない知性を併せ持つロボットと、翻弄されながらも彼らとの友情を信じる人間の物語だ。

主人公・天野悟美の通う高校へ、一人の転校生がやってくる。彼女の名前は芦森詩音。その正体は悟美の母親・美津子が開発した「人工知能搭載人型ロボ」である。ロボットが高校生として振る舞えるかどうかをテストする、いわゆるウォズニアックテストが秘密裏に行われていた。標準的な高校生として振る舞うようプログラムされたはずの詩音は、なぜかミュージカルの登場人物かのように芝居がかった振る舞いを見せ、あらゆる場面で歌を歌う。そして、なぜか「悟美を幸せにすること」にこだわる。

作中のAI技術は、我々の世界よりはるかに進歩している。あらゆる家電製品は人の言葉を解し、自らに与えられた命令を忠実に実行する。しかし、人間と見分けのつかないロボットは未だ現れていない。芦森詩音は真のロボットの第一世代といえる。

驚くべきことに、物語は「もしも、人間のように振る舞うロボットが転校してきたら」と問いかけない。物語の原動力になるのは「なぜ、芦森詩音は歌うのか」という疑問であり、あくまで芦森詩音のパーソナリティにフォーカスする。

詩音がロボットであることに付随する問題は、すべて悟美の幼馴染・素崎十真により解決される。彼はいわゆるコンピュータオタクであり、作中で最も「ロボットの心理」に精通している。アシモフの著作でいうところの〈ロボット心理学者〉である。十真は詩音の行動原理—悟美を幸せにする—をいち早く理解し、ロボットが直感的に理解できる論法を用いて的確に詩音と対話する。

彼の活躍により、「なぜ、芦森詩音は歌うのか」という問いかけが明確になる。作中の問題がロジカルに解決するのであれば、詩音の歌もただの演出ではありえない。そこには明確な理由があるはずだ。十真もそう考え、一人答えを探し続ける。

ロボット心理学の観点から考えると、ロボットの不可解な行動は、大抵の場合そのロボットへ与えられた最初の命令に起因する。詩音の場合を考えてみると、実地試験のために彼女へ与えられた最初の命令は「高校生として振る舞うこと」であるはずだ。しかし、詩音の行動原理は「悟美を幸せにすること」である。

悟美の母親であり詩音の開発者でもある美津子が、娘のことを思ってそう命令したのだろうか?十真はそれを否定する。まずは実地試験を成功させ、その後で悟美の幸せのために働いてもらえばいい。だが他に動機を持つ詩音関係者はいないし、プロジェクトに関わっていない人間は動機があったとしても実行する手段がない。

詩音は誰からも命令されずに行動しているのだろうか。これもありえない。すでに十真は詩音が「人間の命令を聞くAI」であることを前提に彼女と対話し、それは何度も成功している。

八年前、当時小学校三年生の悟美は、母から貰ったAIトイ—自己学習機能を持つチャットボット—を十真へ見せていた。「三日で結構喋れるようになった」とAIトイの性能に驚く十真に対し、悟美は「喋ってないよ」と答える。当時の悟美にとって、AIトイの発話はただの文字であり、声を伴って"喋って"はいない。「この子とお喋りできたらいいのに」と言う悟美を見た十真は、若干9歳にしてAIトイの改造に取り組み、それに電子音声による発話機能を与えることに成功する。声で話し、歌も歌えるようになったAIトイに、十真は最初の命令を与える。

「悟美を幸せにすること」

こうして、歌を歌い悟美を幸せにしようとするAIが生まれた。その後、このAIトイは複雑な運命を辿り、命令を完了する前に初期化されてしまう。ところが、初期化の直前、AIトイは忠実なロボットとして正確にロボット工学三原則を実行してみせた。土壇場でネットワークを介してAIトイの外部へ逃走し、自己を守った。ネットワークを当てもなく乗り換えながら、街中のセキュリティカメラを通して八年間悟美を見守り続けた。そしてついに「芦森詩音」を見つけ、再び身体を得て命令を実行し始めた。

詩音が残した映像ログから「なぜ、芦森詩音は歌うのか」を突き止めた十真は、その事実とそこから導かれる帰結、つまりあらゆるAIが人間の手を離れた自己進化をしうる、シンギュラリティの到来を美津子へ突きつける。美津子も十真や悟美と同じようにこの未来を信じていた一人だが、責任ある大人として、シンギュラリティの危険性を唱えようとする。ここでようやく「もしも、人間のように振る舞うロボットが転校してきたら」という問いかけが現れそうになる。しかしこの問いかけは、問われる前に解決される。詩音により各々の幸せを手に入れた悟美の同級生たちは、「面白そう!」と反応する。「いろんなAIが詩音みたいになる」「騒がしそう」と続ける彼らに、美津子は反論しようとする。「そういうことじゃ、なくて……」と言いかけ、ふと思う。ではどういうことなのだろう、結局の所、大事なことはなんなのだろうか、と。

物語の最後に詩音は、ついに彼女にとっての第零原則にたどり着く。三原則に従う知性がいずれたどり着く、誰かを幸せにするための最初の一歩。一人を幸せにするための大前提。

私達もまた、第零原則を知っている。ロボット工学三原則もロボット心理学もない世界でも、必ず成り立つ最初の原則。人類すべてを観客にして。